自民党大丈夫?
2024/08/27
先日来自民党の総裁候補が先般の裏金問題などに対して総裁になるべく考え方として「裏金は返すべき」とか「もう終わったことだ」というようなニュアンスで報道されています。こういった報道を見ると本当に自民党は大丈夫なのかと改めて考えてしまいます。
政治資金収支報告書に不記載のあったパーティー券収入は、議員独自の努力で販売したもので、記載があれば問題のなかった政治資金です、問題はその問題のないパ−ティ−収入を政治資金収支報告書に記載しなかった。記載しなかった額が4000万円を超えた方は罰せられた、そうでない多くの方は政治資金収支報告書の修正で罰せられなかった。本来であれば記載されなかったものは一時所得として申告して所得税を払わなくてはいけませんが、申告もしない、当然所得税も払わない、こういったことからいっそ返金ではなく同額を自分の選挙区以外の様々な災害被災地に寄付行為を行い処理してはと考えますがそうはならない今の自民党に国民の批判が続くわけです。政務調査費についても地方議会では1円でも領収書と報告書が必要ですが県議会、国会議員となるほどそういったことが必要でなくなっていることに維新などは提言されているのです。こういった話題が何にも感じ取れずに報道されてしまうわきの甘さもかつての自民党の皆さんと違うところであり地方の党員としては情けない限りです。
大社高校頑張れ
2024/08/16
私も元高校球児ですが、今回の甲子園での大社高校の活躍はあまり明るいニュ−スのない島根県に希望を与えています。1回戦2回戦の戦いはまさしく大社高校伝統の守り勝つ野球で特に投手の活躍が目立ちます。特に左バッタ−の外角、右バッタ−の内角へのストレ−とはなかなか打てるボ−ルじゃありません。本当に見事な投球です。打線もランナ−が出れば盗塁、エンドラン、セフティ−バントスクイズなど失敗しない攻撃も見事です。今は昔と違い大舞台でも物おじしない、ふだんの技術が発揮できるように見えます。この調子で明日の3回戦も勝ち上がっていただきたいものです。それにしてもアルプススタンドの応援は見事でした。
残念な判断
2024/08/16
今年に入り熱心な市民の方から原子力発電所について議員の考えを聞きたいというお電話が会派の各議員に電話がかかるようになりました。それぞれの議員が30分程度お話をすると、「会いたい、録音したい、録画したい」などのお話をなされる為、議員の立場上内容を誤った形で流されるのは困るため、会派の議員には対応せず私が連絡するという事にしました。連絡をさせていただき質問に回答もしましたが、「納得いく回答でない」として、所属する議員へ何度も電話がかかるという事になりました。その後県議会議員にも同じような対応を迫っており県議会の一部の議員は着信を受け取らないとした処理をされたと伺いました。その状況を議員の名前を挙げて結局「批判、中傷」するような内容のブログやSNSを発信しているのを確認しましたので、私たちの会派においても受け付けないことを確認しました。本人にも本日連絡を入れさせていただきましたがこちらの判断を述べている最中に電話を切られてしまいました。原発の再稼働の賛成や反対はそれぞれ議員の考えがあります。私も前前回の選挙から福島原発1号機は島根原発1号機と同じ設計の為、1号機は廃炉、2号機、3号機は原子力規制委員会の安全確認が出来れば再稼働、稼働を行い当時40年という使用期間が来れば廃炉という発言もしていました。それは福島の事故調査の結果が対応をしっかりしていたら防げた内容であり後になればなるほどそういった報告も公開されるようになってきたからです。地震動についても女川原発が一番影響があったのに福島第一原発で事故になった、しかし同じ福島でも同じような被害にあった第二原発は危機が回避された、その理由は「電源の回復」と言う様な事でもありました。事故は絶対に起こしてはなりません。しかし限られた資源しか持ち合わせていない日本にとっていましばらくは原子力が必要です。また、原子力発電所の立地自治体には原発交付金をはじめ多くの国の支援事業があります。新幹線も高速道路もないこの地域の経済活動を支えているのは発電所が立地しているからでもあります。現在特別委員会の委員長という立場で様々な議員の意見を反映しながら委員会として判断していく立場であるため、個人の持論は控えていますが賛成という意見、反対という意見それぞれ委員会報告に乗せて、委員会の判断をさせていただきました。12月に2号機の再稼働の見込みとなっていますが中国電力には安全対策をしっかり行い取り組んでいただきたいと思います。
残念
2024/08/14
お盆を迎え親戚の仏様をお参りするのが地域の慣習でしたが、コロナ以降、最近はお年寄りは施設に入り次の世代の方は実家に帰らない、位牌は新しい家では供養せず空き家になった家に置きっぱなし、親戚がお参りしようにも家にも帰らないのでお盆でも参られない。こういった方がだんだん多くなってきました。私の近所でもこういった方が多くなり困っています。お世話になったおじいさん、おばあさんの盆参りも出来ないのはさみしい限りです。
新幹線
2024/08/11
先日松江市の元市議会議員が所属する、県議会の保守系会派で長崎県に行かれ新幹線とまちづくりについて研修されたようです。なかなかこういった課題について県議会で勉強していただけない空気がありましたが、若いメンバ−になり課題への取り組みが垣間見れてほっとしています。6年前に中海宍道湖市長会、議長会で新幹線について本格的に要望活動を行うようになり、当時故浅野県議が「自分が100歳になるまでには新幹線を松江まで通し、それを見るまでは死ねない」と言われ国土交通省や地元国会議員への要望活動を活発化させていましたが、コロナ対策が優先され、新幹線計画が大変遅くなっています。まあコロナで使ったお金があれば新幹線は10本ぐらいは予算措置できたはずです。先日そのことを石破衆議院議員に市議会の会派要望と共にお話させていただきましたが、石破議員は時速130キロくらいで走れる、ハイブリッド特急車両を考えているみたいです。電化の架線がいら、軌道は同じ幅、そうすれば電化になっていない益田まで高速の特急になるというものです。次期新幹線の計画実行に移すには十年以上かかるから出来ることを早くという考えみたいです。近道でできること、遠回りしてでも必ず行い地域間の不平等をなくすこと、地元負担の有り無しも含め、県のレベルで何をしなくてはいけないのか、故浅野県議のような意気込みと実行力で若い県議の皆さんにはしっかりと勉強し実行に結び付けていただきたいものです。「ルールと予算は作るものです」。
道路改良促進協議会
2024/08/06
先日一般国道431号・主要地方道境美保関線道路改良促進連絡会議の顧問として出席しました。この協議会は国道431号線と境美保関線の美保関地内における改良事業の促進に向けた地域の自治会長や観光事業者による連絡会議で、かれこれ結成してから16年くらいになります。現在美保関町内の国道431号線改良では万原工区約3.2qの工区において13億円の事業が実施され今年度は4.3億円の事業が行われる予定です。これにより万原工区はほぼ完成し、同時に森山西工区約900mに着工し今年度は用地測量、残土処理設計、用地補償など2.5億円の事業が実施されます。国道431号線は境港から松江市、出雲市に向けての物流における大事な幹線道路です。しかしながら大型トラックや観光バスが通るには美保関地内は余りにも狭隘で現在の道路幅では大型車が行き交うのに大変危険な状況です。また、沿線の集落地内を国道が通っているため早朝のトラック通行時の振動や事故の危険が絶えずあります。これは境美保関線も同じでしたが、2009年の民主党政権への政権交代時に始まった、「コンクリ−とから人へ」の合言葉の中で事業費が大幅に削られ、地方の道路予算は交付金という形になり予算がついても事業を行うべく思うような予算がつかないことがありました。この連絡会議はちょうどそのころに立ち上げたものでしたが16年経ってやっと目標の半分が終わったところです。国道431のバイパスも川津バイパスから本庄までは4車線の事業ができるよう土地の購入はされていますが、本庄の入り口から出口までは4車線化できていない状況です。当時県会議員からいつできるかわからない境港出雲道路をまつよりすぐにでもできる国道431号線の拡幅が良いのではという提案もありこういった連絡会議での要望となっていますが、16年たっても完成に至っていません。そのようなことから私が議長を務めた6年前より県域を巻き込んで市長会も議長会も宍道湖中海8の字ルートにおける境港出雲道路、米子から境港までの高速道路の延伸、安来から米子市までの連絡橋の設置などの要望活動を行い現在松江北道路が着手され境港出雲道路は国道9号線のバイパスとして国の直轄事業で進めて事業着手ができるよう活動が行われています。
私は自民党員ですが小泉政権から始まった道路特定財源の一般財源化と三位一体化の改革による地方財政措置により、財政力の乏しい市町村は合併を余儀なくされ、地方の予算の縮小を招き公共事業の縮減、地域の公共施設の維持管理予算の縮減、学校統合などにより社会インフラの整っていなかった地方は疲弊の一途をたどっていきました。当時は小泉政権による聖域なき構造改革の一環として、「地方に出来る事は地方に、民間に出来る事は民間に」という小さな政府論を具現化する政策として推進され、地方に税源移譲なども行われ大いに期待され国民の支持を受けた政策でしたが、その政策を批判していたはずの当時の民主党政権により都合の良い政策により都会への一極集中が加速しました。本来であれば国土計画に基づく国道、高速道路、新幹線、鉄道といった社会インフラについては当初の計画が実行されるのを見てから補助金の廃止、交付金への移行が行われなければなりませんでしたが、明治から始まった鉄道にしても、60年前に開業した新幹線にしても都会地から行ってきた事業がさあ地方に予算配分が来るといった状況で予算の縮小が行われ、その分、東京都などの自分のことは自分でできる自治体にまで交付金が2000億円も配られる状況を作り出してしまいました。このことは与党も野党もしっかりと考えていただきたいと感じています。個人的には憲法14条に違反するのではとも考えます。
合区解消は
2024/07/28
次期参議院選挙から合区が解消できそうな空気感があります。しかしながら選挙区域が人口のみで測られる今の選挙制度で果たして国防や国土保全ができるのか、甚だ疑問です。
東京都の面積は2190Km2、島根鳥取の合区区域は約10000Km2と約5倍の面積があります。人口は東京都1400万人、島根鳥取で110万人と12対1、人口だけで考えると1票の格差が指摘されますが、国土がどうあるべきか考えるには議員の数の差が激しいのではと思います。
東京都だと議員一人が受け持つ面先は233Km2、島根鳥取では5000Km2、海、山、離島、市街地、農地など多くの懸案を考える地域と市街地のみを考える考える地域ではおのずと国政における考え方が違ってきます。国として国土を考える場合このようないびつさがあっていいわけはないと思います。先般の衆議院選挙で多くの国会議員が島根に入って演説を行いましたが、聞いていて物足りなかったのは私だけではなかったと思います。あまりにも地域が考える国政の課題と、東京にしかいないために感じる地域課題との乖離は政治から人々を遠ざけてしまいます。そういったことがないように地域のことがわかっている政治家が必要であり合区の解消は待ったなしです。
今すぐに比例代表制度をなくし選挙区制にするのか、憲法で各都道府県から1名は必ず選出できるようにするのか考えていただきたいと思います。司法で1票の格差を指摘するならば、アメリカのように憲法で各都道府県に1名、あとは人口ということにならないのか期待します。憲法改正も9条を含めた改正を一緒に行おうとするからまとまらない。まずは選挙制度だけでも憲法改正を行ってみてはどうだろうか。
報告
2024/07/21
やっと昨年12月の一般質問と、今年2月の質問の内容、美保関、島根、八束の新年度予算の状況などが報告できました。(議会報告)をご参照ください。先般旧千酌小学校区4地区の懇談会があり4地区分を持参したのですが、新年度の予算の状況など支所説明があったと思いますが、ご存じない方も多くホームぺ−ジに乗せさせていただきました。毎年支所や公民館から要望の回答は受け取っていられると思います。支所や公民館からは今年予算化した、今年度中に対応、予算がなくできない、優先順位が低いなどの回答がなされますが、自治会長が変わるタイミングでご存じないということも多々あります。支所では把握しているのでどんどん聞いてみていたただけば良いと思います。
今日は境港の花火大会です。裏山から花火の音が「ドン」「バン」と聞こえてきます。孫は行きたいみたいですが、親はバテバテのようです。それにしても大きな音がしています。
行政のお仕事
2024/07/17
6月の定例会で私たちの会派の野々内議員から松江市が管理している施設管理がおろそかであり、メテオプラザなどの観光施設や学校施設などが修繕されず放置されており利用中止となった施設もあるとの一般質問での指摘をしていただきました。今年の3月に美保関中学校の体育館の屋根がめくれており雨漏りがしていると学校の教頭先生から伺い確認したら相当前から雨漏りがしており床の一部が腐食していました。教頭先生曰く、何年も前から教育委員会には伝えてあるが「お金が無く対応できない」という回答であった為そのままになっているとのことなので、教育委員会の学校管理課、財政部などにも早く対応するようお話もしましたが、報告では「雨漏りはしていない」との報告が上がっていたみたいで、野々内議員の質問もあったのに未だに協議中とのことです。何を協議しているのかわかりませんが、緊急の専決処分での対応と思いますが、そういったことになっていないようです。
こういったことの繰り返しで市民の財産が老朽化してしまいには「建て替える」「廃止する」という結果になりかねません。こういった事業はすぐに対応できる内容ですがこういった「遅れ」が議員や市長、市への不満になります。雨漏りなど建物の修繕の対応は速やかに行えるようにしていただきたいものです。
エビスカップ全国会場綱引き大会
2024/07/16
昨日はエビスカップ全国会場綱引き大会が松江市北浦で行われました。私も市長と共に来賓として参加しましたが小雨の降る中でしたが熱戦が繰り広げられました。この大会の第1回から4回までは私が実行委員長を務めていましたので感慨深いものがります。秋の産業文化祭から夏のお祭りを当時の商工会青年部や境水道大橋の無料化運動を行っていたまちづくり会議などと共に千酌の砂浜で行ったのが最初です。その後冷夏で北浦海水浴場に海水浴客が少なくなり、北浦に会場を移し今に至ります。当時は青年部活動が活発で灯台の百周年コンサ−トや美保神社での奉納コンサ−トなど地域の皆さんと共に行ったものです。今は私たちの子供の世代が引き継いで大会を盛り上げていただいています。当時「継続は力」を合言葉にこの大会だけはどんなに苦しくても続けようと話していましたが今では夏の恒例イベントとなり多くの方に参加をしていただける大会となりました。何よりも参加していただいた方が楽しんでいただければ、地域の活性化につながればと考えます。実行委員会の皆さんご苦労様でした。
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